Z世代が企画・発信『絵で知る原爆展』 戦争を「自分ごと」で考えるために、私たちだからできること

(2023.9.19. 公開)

#国際平和デー

ヘドロにまみれた泥を、汚れた布に浸して、しぼりだした1滴の水。水とさえ言えないその1滴を、あなたは、私は、飲めるだろうか。その1滴を「おいしい」と感嘆にむせびながら亡くなっていった幼い子どもが、実際にいたという事実が、80年ちかくもの時を経て私の心をしめつけた。

『絵で知る原爆展』(2023年8月25日~27日、東京)に展示された作品には、一つ一つ、描かれた情景の元となる被爆者の実体験が付記されている。被爆者が当時の記憶を語り、それを広島市立基町(もとまち)高校の生徒が絵に描く。被爆者と絵を描いた高校生、それぞれの声と、描かれた情景が広島のどの場所で起きたことなのかを爆心地の地図と併せて展示する。

この展示の主催者は、広島や長崎に生まれ育った人ではない。被爆者が身近にいることもなく、幼い頃から平和教育を受けてきたという環境にもなかった。けれども、「知らなかった自分だから伝えられることがある」との思いから、クラウドファンディングを立ちあげ、仲間を集め、SNSで呼びかけ、開催にこぎつけた。どんな想いが、この活動の源泉になっているのか。主催者の大森美穂さんに会いに行き、話を聞いた。


(本展を企画・運営する3人:中央が主催者の大森さん、向かって左が上澤さん、右が西原さん)

『はだしのゲン』を読んで、原爆について知らないままではダメだと思った

原爆や戦争によって引き起こされた悲しみや苦しみを、関東に住む若い人たちにも「自分の国で起きた事」「今でも被害が続いている、自分達の今と未来に関係すること」として感じてほしい。主催者の大森さん自身も横浜出身で、「大学に入るまでは、広島や長崎の話は外国の事のように遠く感じていた」からこそ、そんな人たちにむけて「知りたいと思った時に立ち寄れる場所を作りたい」と思ったという。
「関東にはまだまだ原爆について知る機会が少ない。人にはそれぞれ、知るタイミングと知りたい範囲と内容と角度があり、それを選択できるといい。恥ずかしながら、私自身もやっと原爆や核兵器について“自分ごと”として考えなければと危機感を持ち始めたばかり。」

きっかけは『はだしのゲン』(中沢啓治著)を読んだことだった。原爆に関する凄惨な描写にショックを受ける一方で、主人公ゲンとその家族について描かれるさまざまな場面に心を揺さぶられた。そこから、「大切な人と悲しい別れをするのはものすごく辛いことだし、大事な人や愛する人と幸せに生きたい」との思いが湧き起こり、この企画展につながったのだ。

被爆地出身者ではない大森さんにも行動を起こさせた『はだしのゲン』は、2018年時点で累計発行部数1,000万を超え、世界中で読み継がれている漫画だ。『はだしのゲン』をめぐっては、広島市の小学校むけの教材「ひろしま平和ノート」から削除されたことに対して、市民団体が撤回を求めて5万5000人分の署名を提出するなど、議論が巻き起こっている。一方で、文庫本の出版元である中央公論新社によると、この削除をめぐる一連の報道やG7広島サミットの影響もあり、2023年6月までの上半期発行部数は、昨年同期比の約15倍にも増加しているという。

被爆体験を風化させないために、高校生が筆をとる

広島市立基町高等学校は、同校の普通科創造表現コースに在籍する生徒が被爆者の体験を聞きながら絵を描き、原爆の記憶を後世に残していく取り組みを行っている。進め方はまず、被爆者が語る当時の様子を聞いたあとに、描く場面と方向性を決める。そこからは被爆者と高校生が個別に話し合うなかで絵の構図や色彩といったディテールを確認しながら、約9カ月もの時間をかけて1つの作品を描きあげていく。



2007年からはじまったこのプロジェクトは、これまでに182点もの作品が制作されており、今回の『絵で知る原爆展』では、そのなかから厳選した12点の複製画を展示する。それぞれの絵の下には、実体験を語った被爆者と、それを聞きながら絵を描いた生徒それぞれのコメントを掲示。さらにその横には爆心地の地図を並べて、どこで起きた出来事なのかもわかりやすく示されていた。



この作品は、新宅勝文さんの被爆体験をもとに、岡本実佳枝さんが描いた。大学の広い敷地に、被爆した4~500もの人々がひしめくなか、全身に大やけどを負った3歳くらいの子どもに水をせがまれたものの、防火水槽にはもう1滴の水も残っていない。仕方なく、ヘドロに含まれていた泥水を、新宅さんは自分の洋服にしみこませて、渾身の力で水を絞り出した。その水を飲み終えた後、その幼い子どもは「おいしかったよお・・・ありがとう・・・」と言い残して息をひきとった。その時の情景を、数十年の月日を超えて、戦争を知らない高校生が鮮烈によみがえらせている。

「表情まで克明に描かれている。高校生がここまで向き合って絵を描いたことに心を揺さぶられた」と、大森さんは初めてこれらの絵を見たときの気持ちをふり返る。
「原爆の証言集を読んでいると、恐ろしさを感じると同時にたくさんの愛があることにも気づいた。大火傷していても、人は家族を探すし、原爆症になるから行くなと言われても、爆心地付近の家があった場所に戻る。極限の状態でも、人は愛する人のために、家族のために動くんだなと知った時、愛する人たちと幸せに生きたいと思う自分の気持ちと重なった。」

今回展示した作品に、いくつかの未展示作品を含めたカタログも制作した。来場者の多くが、そのカタログを買い求めるだけでなく、展覧会に来ることができなかった友人や家族、職場の同僚に渡したいと、複数冊を買っていく人も多くみられた。「知りたい」「忘れたくない」「知ってほしい」という来場者の思いを感じ、「冊子を作って本当に良かった」と大森さんは笑顔を見せた。

日常の延長線上に「知る」きっかけがあるといい

『絵で見る原爆展』は、渋谷と表参道を結ぶキャットストリートにあるギャラリーで開催された。

「渋谷の街で原爆の絵を見る日がくるとは。(被爆者の皮膚の)皮が剥げている様子とか、とってもリアル。でもその恐ろしさと隣り合わせの世界が今のリアル」と、来場者から寄せられたコメントにもあるように、ショッピングやカフェに行く流れで、ふと出会える。その気軽さは、大森さんがとても意識した点だという。
「知らないことがプレッシャーにならないように、というのは、私自身が原爆や戦争についてまだ知らないことが多いからこそ気を配った。たとえば、知ってましたか? と話しかけてしまうと、知らないことを恥ずかしいと感じる人がいるかもしれない。そうではなく、その人自身が感じたことにフォーカスして話をするよう心がけた。」

戦争や原爆に対する心的ハードルを下げるために、雰囲気もあえてカジュアルに徹する。
「戦争をテーマにした展示だから、とブラックフォーマルのような装いで会場に立つのではなく、あえてふだんの自分らしい恰好をしたい。そうすることで、日常の延長線上に原爆や核兵器について知る・考える機会があると気づいてほしい。」


(初日のギャラリーに立つ、主催者の大森さん)

「開催してくれてありがとう」と、たくさんの声をもらった

この展覧会のために立ちあげたクラウドファンディングには40名を超える支援が集まったが、それにも増して大森さんを励ましたのは、支援者から寄せられた応援メッセージだった。
「最初は、どのくらいの人が興味をもってくれるのかということも全くの未知数だった。広島・長崎出身でもない自分が、このような企画を行っていいものかという迷いもあった。けれどもはじめてみると、たくさんの方が寄付をしてくれるだけでなく、あたたかい想いを伝えてくれることに感動した。」



開催期間中、オープン直後からギャラリーを訪れる人は後を絶たなかった。絵を見た感想や、自分の地域での平和教育はどうだったか、その記憶を思い返しながら話を聞かせてくれる来場者も少なくない。

「栃木に住んでいる私は原爆を詳しく知ることはなかったし、この展示がなかったら改めて知ろうとも思わなかったかもしれないから有難い機会でした」
「記憶を風化させない。この言葉を今までいかに表面的にしかとらえていなかったか突きつけられる圧倒的な絵の力」
「戦争は絶対にしてはいけないものだと改めて痛感する機会になりました。若い世代の人たちにこそ行ってもらいたいです」
など、来場者の感想がSNSで次々と投稿され、シェアされた。



真っ黒に焦げた赤ん坊を抱いて、泣きながら焼野原を徘徊する母親、失った自分の腕を抱えて歩く中学生。2009年に制作された平野弘美さんの作品は、梶本淑子さんの被爆体験をもとに描かれた。「理不尽に人が殺される様子を聞き、絵に描くのはつらかった。とくに、黒焦げの赤ん坊を抱いた母親のことを聞いたときは胸が痛んだ」と、絵の作者である平野さんはコメントを寄せている。

幼い子どもを連れた来場者も多く、平野さんの作品を見て、「自分ごととして捉えるきっかけになった」という感想も聞かれたという。

8月だけじゃなく、被爆地だけでなく

「次回、この展覧会を開催するときには。夏じゃなくてもいいかなと思っている。本来なら、平和について考えるのはいつでもいいはずなのに、日本は8月だけ盛り上がる印象がある。それには違和感を感じていた」と、大森さんは次なる構想を明かした。

開催する時期だけでなく、会場についても工夫が凝らされた。会場には、日本と世界の地図を並べた大きなボードが用意されており、来場者がそれぞれの出身地にシールを貼っていく。今年は青いシールを貼っていったが、次回以降も開催年ごとにシールの色を変えて、毎年同じボードを使ってシールを貼り足していく計画だ。



単に、この企画展のひろまりを可視化するだけでなく、「自分の場所」と「他の人の場所」、「今の自分の場所」や「いつかの誰かの場所」に意識と目を向けるきっかけにもしてほしい、との思いをこめる。


(日本と世界の地図上に、来場者が自身の出身地にシールを貼っていく)

実際に2023年の開催期間中は、「ヨーロッパ、台湾、中国、アメリカ、ブラジルの方々がギャラリーを訪れてくれて、原爆や戦争、核についてフラットに話せたことが大きかった」と、展覧会を終えた大森さんはふりかえる。
「国対国ではなく、人と人で話をすることが大切。ひとりの個人として話をし、その人の人生や想いにふれると、たとえ国籍や価値観がちがっても同じように大切に想う人がいて、生きたい人生があることがわかる。国や考えの違いから排除したり憎しみを募らせたりするのではなく、話し合うことでお互いを理解し、受け入れていこうすることが平和につながっていくと思う。」

展示内容についても新しい企画を考えている。たとえば、既存の絵を展示するだけではなく、今後は、戦争や原爆をテーマに絵を描いてもらう公募展にできたら、と大森さんは構想を膨らませる。「描くためには、本を読んで調べたり、平和記念資料館に足を運んだりするはず。戦争や原爆について自発的に知ろうとする機会を、そんなかたちで作っていきたい。」


失われてしまってから大切さに気付くのでは、手遅れに

平和は、わたしたちが命を脅かされずに安心して暮らすためになくてはならないもの。それが無慈悲に、不条理に奪い尽くされてしまうのが戦争や核兵器だ。

「やりたいことや、これから先の未来を一瞬で奪われる。そんなこと自分は絶対に嫌だし、他の誰にとってもそんなことが起きてほしくない。」
そんな想いから大森さんが原爆展を企画したように、未来を担うZ世代やα世代が、自分のことばや想いをのせて、戦争や核兵器をなくすために自分に何ができるかを考え、自分のことばや想いをのせて発信をしはじめている。

2023年8月6日に行われた平和祈念式典では、「こども代表」として広島市の小学生が「平和への誓い」をスピーチし、各国の要人も含め世界中から訪れた参列者にむけて「みなさんにとって平和とは何ですか」と問いかけた。

争いや戦争がないこと。
差別をせず、違いを認め合うこと。
悪口を言ったり、けんかをしたりせず、みんなが笑顔になれること。
身近なところにも、たくさんの平和があります。

私たちにもできることがあります。
自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。
友だちのよいところを見つけること。
みんなの笑顔のために自分の力を使うこと。

被爆者の思いを自分事として受け止め、自分の言葉で伝えていきます。
身近にある平和をつないでいくために、一人一人が行動していきます。

(出典:こども代表「平和への誓い」から一部を抜粋)


身近にもたくさんの平和があり、自分たちにもできることがある。この簡潔で力強いメッセージが、世界中の人々に届くことを願ってやまない。
見て見ぬフリをしないこと。知ること。関心をもつこと。自分の思いを誰かとシェアしてみること。意見や価値観の違いを受け入れ、相手の想いを大切にすること。まだ知らない国の人々と仲良くなること。
今なお戦争が起きてしまっているこの世界で、平和を実現することは容易ではない。けれどもそこで思考停止するのではなく、自分にできる小さな行動をひとりひとりが積み重ねることで、大きなインパクトを生み出していけるはずだと信じたい。

『絵で知る原爆展』のように、身構えたり気負ったりするのではなく日常の導線上で、「わたしにとって平和とは何だろう?」と考える機会がもっと増えていくといい。

なぜならば、戦争はある日突然やってくるのではなく、わたしたちの日常と地続きでつながっている。平和は、当たり前のようにいつもそこにありつづけるのではない。いつのまにか戦争にいたる道を進んでしまわないように、失ってしまってからではあまりにも代償が大きすぎる「平和」を、わたしたちの暮らしのなかに、しっかりとつなぎとめておかなければいけない。



【参考サイト】

原爆展を東京の若者の街でも開催したい!

国際平和拠点ひろしま 高校生の手による原爆の絵 広島市立基町高等学校美術部

広島市教育委員会「平和への誓い」



■執筆: Mami NAITO Sustainable Brand Journey 編集部
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