Z世代がとらえる社会、思い描く未来 vol.1 - 結婚、育児、自分らしく働くこと- 【連載】

(2023.4.25. 公開)

#Z世代 #エッセイ #女性活躍 #ジェンダー平等 #男性育休


「いつまでその忙しさを続けるつもりなの?」

当時お付き合いしていたパートナーにそう言われたとき、うすいガラスのコップがぱりーんと割れたような気持ちになった。「いつまでって、リミットなんて分からない」。これが本音だった。そういえば大学の友達は3年付き合った方とゴールインしていた。ある友人は、パートナーの転勤をきっかけに仕事を辞めると言っていた。会社員として働くかたわら、自分の好きなことを副業にして働けるようになった26歳の私は、気づかないうちに誰かが勝手につくりあげた「結婚適齢期」というレールの上に立っていた。

結婚・育児をしながら、やりたい仕事を続けることは贅沢?

突如投げかけられた疑問形をスルーできずに、私はその問いの前で立ち止まってしまった。信号のないT字路に突き当たって、右に行けばいいのか左に行けばいいのか分からなくて、その場にしゃがみこんでいるような気分だった。

私にだって、結婚願望はある。新しい家族とともに私も成長していきたい。きっと子供の存在から学ぶことがたくさんある。だけど、せっかく手にしたチャンスを今は逃したくない。一度断ったら、同じ依頼はもう貰えないのではないか。

経験を積みたい。もっといろんな世界をみたい。期待に応えたい。
この心の中にある混じり気のない思いをせき止めることは、私にはできそうになかった。

クライアントと信頼関係を築き、帰れる場所をつくってから、産休・育休に入りたかった。普段はフットワークの軽い私でも、その計画は入念にしたかった。
なぜなら、パートナーや働く仲間の理解・協力 がないと、私がやりたいことはきっと続けられないと思ったからだった。

だから、未来への種まきをして肥料をあげて水をまいて花が咲いた頃に、将来の話をしたかった。フリーランスの仕事が軌道にのったら、在宅でも仕事ができるようになる。働く場所に縛られず、家族との時間も自分の夢も守ることもできるかもしれない。

私は本気でそう考えていた。

社会と関わるうえで、自分の社会的価値を模索していた私にとって「仕事をすること」は、収入を得ること以上の意味をもっていた。子供は欲しい一方で、仕事の領域で自分の居場所が確保できないうちは、母親になる自分の姿が想像できなかった。

でも、「今じゃない」っていつになるんだろう。

周りの同世代たちは、出産と同時に「働く女性」から役割を変えて、かつて大切だったものを天秤にかけながら、毎日を必死に生きている。
もしかして、私が掲げている未来予想図は実現困難で、とても贅沢な望みなのだろうか?

「育児をしながら働ける環境」を整えることは、私らしくいるために重要なのに、私がいま置かれている環境が、結婚・育児に関して親切な環境かと問われたら首をかしげてしまう。支援制度や出産費用。保育園に安心して預けられるか。今のポジションのまま職場復帰できるのか。こうした不安を少しでも解消していくことで、私が掲げる未来予想図に少しずつでも近づける気がする。


育児休暇は、職場の「お荷物」?

調べてみると、子供が生まれてから8週間以内に4週間まで取得可能な「産後パパ育休」という制度(分割取得も可能)を設けるなど、意外にも国は育児環境を整えるためにいろいろ試行錯誤している。

ただ実際問題、職場の雰囲気や人員的な問題で、男性が育児休暇を取るのはまだまだ遠い未来のように感じてしまう。今まで勤めた会社で、育児休業を取っている男性を私は見たことがない。反対に、子供の病気が理由なのに、申し訳なさそうに早退する様子は何度か見かけることがあるけれど…。


産育休から仕事に復帰した時には、クライアントに「おかえり」と言ってもらえるように信頼と実績をつくっておきたい。ノルマ。昇給。昇進。育休取得を予定している男性にとっても、そういうプレッシャーは私の想像以上に、重たくのしかかっているのかもしれない。

私は岩手で営業職をして7年が経つ。たった7年だけどその経験値で語れば、何らかの会合で登壇する面々のうち女性は1割にも満たないし、商談で名刺交換をする相手のほとんどは男性だ。

昔就活をしていたとき、面接官に「女はあまり取りたくないんだよね。だって、ひとり立ちできそうだと思った頃に結婚だ、出産だっていうでしょ?彼氏はいるの?」と聞かれて、面接中、嫌悪感を出さないように必死になったことを思い出した。なんでそんな風に”お荷物”みたいなセリフを言えるのか、私には分からなかった。ずっとずっと違和感を感じていた。

友人の夫は育休を取得する際に、上司にどのような反応をされるか緊張したという。けれども彼の場合は、理解ある上司で快く承諾してくれたという。

このエピソードを読んで「恵まれている環境だな」と思った方々はどれほどいるのだろう。
育児休暇は、国民に与えられた平等な制度であるのに。

長期の産休・育休だけでなく、幼い子供がいる社員が急な子供の病気等で休むことになった場合には、手の空いている人や、未婚の人、子供のいない社員が作業を引き継ぐことが多い。

私もそうした対応にあたることが多いが、そのフォロー自体は評価対象にならず、何らかのインセンティブがつくこともない。やってもやらなくても収入や評価が変わらないのであれば、出来るだけ余分な仕事は増やしたくないのが本音だった。

繁忙期に入ると「体調不良で欠勤する社員がでませんように」と心のなかで呪文を唱えてしまう。「未婚であること」や「子供がいない」という状態を「便利な人」と職場では見なされているように感じてしまうことも時にはあった。

そう思ってしまう私は、やる気のない人間に映ってしまうのだろうか。

産休・育休であれ、不慮の病気やケガであれ、職場に欠員がでたときには他のメンバーでフォローすることは、チームで仕事をしている上で必要不可欠である。私だっていつかは、支えてもらう側になる。同僚の代わりに、ピンチヒッターで引き継いだ案件も「お互い様だし、むしろ成長できるチャンスをもらったのだ」と自分のマインドを上げていくように努めている。そうでもしないと、忙しくなるばかりで健やかな精神状態で仕事に取り組めなかった。

「休みを取れる人はいいな」とフォローする側に思わせてしまう環境にこそ、落とし穴があるように感じてしまうのは私だけだろうか。

職場の好環境や、仲間の理解を得られた者だけが「私はラッキーなんだ」と思わせること自体が、不平等だと思う。「人員が余剰です。うちは誰が欠けても回していけます!大丈夫だから!」という会社はどれほどあるのだろう。自分が掲げる未来予想図に向かってがむしゃらに仕事をしていれば「意識高い系だね」と言われることもあった。自分の居場所を確保するために必死なだけなのに。どこからどう説明すればいいのか。言葉を紡ぐのを放棄したくなることも少なくなかった。

相手が私を傷つけるつもりがないのは分かっている。でも無意識のその発言が、この違和感を解消することがそう簡単ではないということを物語っている。


「自分らしく」いられることが、いちばんの幸せ

私個人のパーソナリティよりも「会社の一員としての私」を重視する社会が、むず痒い。みんながみんな「理解のある職場環境」というアタリを引くことなんてできない。
産後パパ育休も建前論だと思う。例えば「取得したいです」と言ったら、上司のどんな顔が真っ先に浮かんでくる?

男性の育休取得率の問題や出生率の問題、ワンオペ育児の実態は、実は身近な日常からも垣間見えているのではないだろうか。

企業側に判断と対応を任せたままでは、この状況はなかなか変わらないと思う。どうすれば職場にいる人たちが男女関係なしに遠慮せずに働けるのか。
モチベーションを維持しながら仕事に取り組めるのか。

仮に、その環境を作りだすための制度が設けられたとする。誰もが産休・育休を取れるような環境を担保したり、働く人たちのモチベーションを保つための施策を打ち出したりしたなら、私たちが置かれているこの環境は、がらりと変わっていくのだろうか。

氷山の一角だけを変えようとするのではなく、根本的な考え方をアップデートしていかない限りは、ずっと世知辛いままではないだろうか。
深層部分を解決しないまま、制度の厚塗りをしたって、状況は変わらない。

女性も男性も、働く人たちは誰しも「自分の居場所」を失いたくない。

『帰れる場所をつくってから、産休・育休に入りたかった』

私がそう思った原因が解消されない限りは、未来にむけて一歩を踏み出せないまま、階段の踊り場で足踏みしつづけてしまいそうだ。

私は、結婚すること、子供がいることも幸せだと思うけれど、その延長線上でも「自分らしくいられる」ことが、いちばんの幸せだと思う。みんなはどう思う?



■執筆:contributing writer  Nana Matsuura 


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